

かつて豊穣の海であった水俣湾の恋路島は、水銀汚染により長期にわたって入島が禁止されてきた。今回水質の回復により34年ぶりに開放された同島は汚染被害の証言者であり、再生の象徴であり、最大のモニュメントであると言える。
この提案は恋路島と回転対称形をなす人工池を造成することを主な要素とする。この池は「調和」への願いであり、水の問題が永久に忘れ去られないことを祈念する。人工池に浮かぶ彫像は「発芽する種子」と「水中に没する眼球』をイメージしている。


かつて豊穣の海であった水俣湾の恋路島は、水銀汚染により長期にわたって入島が禁止されてきた。今回水質の回復により34年ぶりに開放された同島は汚染被害の証言者であり、再生の象徴であり、最大のモニュメントであると言える。
この提案は恋路島と回転対称形をなす人工池を造成することを主な要素とする。この池は「調和」への願いであり、水の問題が永久に忘れ去られないことを祈念する。人工池に浮かぶ彫像は「発芽する種子」と「水中に没する眼球』をイメージしている。


【沈む地平/14人の6日間にわたる相互侵犯】埼玉県立美術館
以下開催時のリーフレットより。
今回のこの試みは、主としてインスタレーションと呼ばれる表現形態によって発表活動を続けている14名の作家により、およそ次のような方法で行われます。
参加作家はまず各自自分自身の作品を会場に搬入設置します。次に会期中連日にわたって互いに他の作家の作品に自分の表現なり思考を加え、相手の(作品・表現)の領域への具体的な介入を試みてゆきます。
つまり各々の作家が、他人の作品に具体的に手を加え、また他の作家によって手を加えられた自分の作品を受けとめながら、各々の表現行為を現場で展開してゆく訳です。
インスタレーション(架設、設置の意味)という表現形態は、設置される空間そのものへの依存度が強く、その場その場での一回性としての展開を要求される点からも作り手の欲望・願望や目的と、空間・素材との、相互に浸透的な干渉関係を強く要求されるものです。そこでは、作家の個性・オリジナリティ等と作品・表現の一致性とか、作品の普遍的自立性の確立などと呼ばれる問題は、表現全体の中で相対化され、半ば放り出された形のまま提示されています。そしてそのような場で、記憶の総体へアプローチし、パターン化され管理化された欲望や感覚や思考を揺さぶる可能性こそが試行されて
いるのです。今回の試みとは、インスタレーションという表現形態そのものに内包されているこのような要素を、さらに相乗
化させてゆこうとするものです。
参加作家の相互インスタレーション、すなわちそれは、互いの作品をも空間の与件として捉えることであり、同時に、参加作家各々の内面にまでインスタレーションを試みることを意味しています。
「沈む地平」というタイトルは天動説から地動説への移行課程で起こった価値の相対化を模した言い回しです。自らの作品の根拠さえもが他者の手にかかりズタズタに引き裂かれてゆく可能性を残した今回の試みでは、表現を取り巻く今日的な問題が個々の作家にとって、よりラディカルな形で問われてくると思われます。つまり、この試みを通して、表現の自立性、自己同一性への確執、主体と客体の関係、欲望と制度など、今日の様々な、しかしある強力なつながりを持った問題が裏返しー裏返された論理や感情とともにたち現れてくることを期待しているのです。